元自にーさん(元自衛官)の自衛隊ブログ

新隊員、自衛隊や自衛官に興味がある人に自衛隊について色々と学んでもらえるようなブログを目指しています。

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幹部自衛官を辞めたいと思っている人へのメッセージ

      2016/12/12

私が幹部自衛官になって最初の仕事は訓練幹部でした。ある日出勤したら「あらN3尉、運幹が探していたよ。」と言うので何だろうと思っていたところ、射撃の計画を作ったのにその日が射撃検定だということをすっかり忘れていたのです。

射撃の勤務に私の名前があったので出発前に運幹が探したのです。

ガクッと肩を落としている私を見て、飛行班長が「今からヘリで送ってやるから準備しなさい。」と言われ慌ててヘリで送ってもらい射撃に参加しましたが、帰って隊長に呼ばれ「注意処分」となりました。

その後、航空隊本部の情報幹部として勤務しましたが、情報2科の情報幹部ではなく訓練3科長の下で航空機の調整幹部でした。

初めて勤務して約1週間が経ち前任者とのダブル配置もそろそろ終わりの頃、ある朝前任者が「今日は自分で天候説明してみて」と言われ、航空隊長への天候説明をすることになりました。

初めて航空隊長の前に立ち、天候を書いたボードを航空隊長の机に置こうとした時、お茶を盛大にこぼしてしまい机の書類を汚してしまったのです。

「前任者を呼べ」と言われ前任者はコテンパンに怒られました。毎日、夜遅くまでワープロに向かって計画や命令を作り、ある時は旭川の飛行隊長から任務の事で強く文句を言われ、結婚して間もない若かった私は本当に心が折れそうでした。

宇都宮に異動して運航係幹部に配置された時は電話恐怖症になりました。航空学校ですのでヘリが毎日たくさん飛ぶのですが、騒音苦情の電話が後を絶たないのです。

毎日、同じ人が5回も10回も電話をしてきました。病気で寝ている人や夜勤明けで寝ようとしてもヘリがうるさくて寝られないなどいろんな人が何人も電話してくるのですから対応するのは大変でした。人によっては口汚く罵るように「わかんねーなら門の所に行くから出てこい。」などと怒鳴ってくるので対応に恐怖心が芽生え電話のベルが鳴っただけでドキドキしました。

PTSD心的外傷後ストレス障害を起こしていたと思います。自衛策として、電話を取って騒音苦情の怒鳴り声が聞こえたら、静かに受話器を机の上に置き静かになるまでそのまま放置していました。そうでもしなければ私の神経が壊れると思いました。

その後、操縦教官に配置された私は勉強に明け暮れました。事業用操縦士、操縦教育証明、計器飛行証明の3つはどうしても受けなければならない難関です。

私は受験が決まったら家に帰らないで勉強していました。仕事が終わって夜に勉強するのですが夜中の2時3時に家に帰ると妻子を起こしてしまうので教官室の机で寝たのです。

長い時は半年間家に帰りませんでした。事業用と操縦教育証明はなんとか取得できたのですが、計器飛行証明は試験官との相性も悪く受験当日まで緊張で寝付けない日々が続き、前日は全く眠れなく、朝方意を決して飲めば少しくらい眠れるかと思い売店横にある自動販売機に行って缶ビールを飲みましたが酔っただけで眠れずに朝を迎え、そのまま受験し失敗続きで不合格となりました。

勉強は人一倍しましたが不眠不休で受験してうまくいくはずはありません。すっかり自信を失くし仕事への熱意も失せてしまいましたが一つだけ得たものがあります。子どもが高校と大学の受験の時に気がつきました。優しくなれたのです。「人間は成功もあれば失敗もする。」一生懸命やってもだめな時もあるのです。

「やれるだけのことをやったらあとは運を天に任せて気楽にやろう。」ということが言えるようになったのですから自分では大変な進歩をしたと思います。

その後、九州の飛行隊に異動し飛行班長をしましたが、隊長との折り合いが悪く何をしても隊長と対立しました。

それまで偵察ヘリしかない飛行隊に多用途ヘリが導入されることになり、偵察ヘリの操縦士を多用途ヘリに機種変更の教育をして新たな態勢になる時に飛行班を別々にするのか検討した結果、当分同じ人間が偵察ヘリと多用途ヘリに乗るのだから一つの飛行班で行こうとしていた矢先、隊長が交代して2つに分けろと指示し、それぞれのヘリにしか乗れないようにしてしまいました。

実際に航空学校の教官は2機種以上乗りますがそれが事故の原因となった事例はありません。どちらにも乗れる操縦士を育成しようとしていた私とは対立しました。

どちらにも乗れる操縦士が何名も誕生したのですから「今日は偵察ヘリ、明日は多用途ヘリ」というようにしっかり訓練したかったのです。

師団長などVIPの空輸は隊長が乗ることになりました。それまでベテラン2名で受け持つようにしていたのですが、不慣れな隊長が機長で乗ることに反対した私と隊長は対立しました。

ある時、隊長の計画で家族を乗せる体験搭乗がありました。「家族を乗せないように。」との指示でした。航空機事故があった時に家族全員が死ぬからだそうです。

隊長の指示のとおり自分の操縦するヘリに他人が乗って、他の航空機に自分の家族が乗っている状況で事故があったらとんでもないことになります。私は、当日の搭乗割担当者に自分の家族を乗せるように指示しました。

ここでも隊長と私は対立したのです。隊長とは何に対しても考え方が違っていたため対立し、私は次の異動で飛行隊から出されることになりました。



武器がなくなった日

その後、師団司令部に異動になりヘリパイとしての仕事は終わったのです。8月に異動してすぐにK駐屯地で武器がなくなるという前代未聞の事故がありました。

3部長から「一番暇なお前行って来い。」と言われK駐屯地に行きました。毎日、いろんな場所の捜索と結果報告をまとめるのが仕事でしたが、師団として大変な人数が捜索した状況について毎日朝まで寝ないで情報を集め資料を作りました。

師団長以下三役や直上の監察官などから激しく怒られながらの毎日はとても苦痛でこの時はさすがに自衛隊を辞めたいと思いました。

その後、2日勤務したら1泊家に帰るシフトになりましたが2日間寝ずにする仕事がとても辛く、1泊家に帰ったら家から出たくない病になりそうでした。

そんな生活が何ヶ月か続き、警察による捜査によって犯人が捕まりましたが、私たちは毎日が大変な勤務でした。

2016年5月に北海道然別演習場で行進中の隊員に敵役の隊員が攻撃を仕掛けてそれを掩護するという訓練をしたところ、射撃に使用したのが実弾で合計79発の実弾を発射するという前代未聞の事故があったというニュースを見てとても驚きました。

弾薬の装填の時になぜ気がつかなかったのか疑問ですが、この時の指揮官や武器係幹部や後方幹部、訓練幹部などこれから大変な取り調べを受けることになると思います。

武器や弾薬を失くしたとか間違って撃ったなどという事は自衛隊にとってとんでもなく大変なことなのです。K駐屯地では武器紛失を起こした中隊長は退職、大隊長以下主要な幹部も全て更迭になりました。

話は逸れましたが、ある時、B駐屯地で災害情報訓練というのがありました。

私は司令部要員で参加していたのですが、飛行隊から支援のヘリと操縦士が何名か来たのですが、どこにいるのか分らず3部長が探して来いと言うので探したところ飛行班長以下全員が部屋で昼寝をしていました。

私から目が飛び出るほど怒られた飛行班長やそのほかの操縦士は私の事をうるさい幹部だと思ったようです。

しかし、その中である幹部が電話してきました。「私は頭を坊主にしました。」というのです。

理由を聞くと演習中に天幕を焼いたからだそうです。坊主にしても天幕は戻らないだろうと言うと、「班長のような人が必要だと最近思うようになってきました。」と言うのです。

飛行隊は全員が私を嫌いだろうと思っていたところにこの電話を受けたのですから、20人もいる中で、1人や2人でも自分を認めてくれる人がいればそれでいいと思いました。

その後、私は航空学校企画室に異動となりました。師団司令部から操縦士に復帰したかったのですが、航空隊やその関係者が受け入れを拒否したため希望は叶いませんでした。

航空学校本校に行くなら操縦教官がしたいとの要望も受け入れてくれませんでした。

何もかもうまくいかないのが人生かと当時は思っていましたが、捨てる神あれば拾う神ありです。

企画室での勤務は人間関係がとても良くて快適な勤務だったのです。幹部の仕事は行ってみてやってみなければわからないものです。

この仕事の間にも人から嫌われることを何度かしました。空輸任務などは宇都宮、土浦、明野本校の3校でバランスよく振り分けるのですが、ある時、土浦の学校が文句を言ってきたのです。

「そんな仕事は本校でして下さい。」各学校が困らないよう調整しながら振り分けている私に何と言う文句だと私は激怒しました。企画室のみんながびっくりするような怒り方でした。

その後、怒られた幹部が本校に来る機会があり私の所に謝りに来ました。私も強く怒ったことは謝りました。

今度こそは九州の飛行隊に戻りたいとの要望も九州の航空隊から拒否されました。何と言う1佐だったか忘れましたが私を目の敵にして絶対に航空隊で仕事ができないようにしてやると言った人もいました。

異動の時期になって企画室長から「八尾はどうだい。」と言っていただきました。企画室長の母体とも言える八尾にある航空隊に私を紹介していただいたのです。

どこにも受け入れ先がない私の面倒を見ていただいたH1佐には本当に感謝しても足りません。

八尾に異動してすぐにホバリング中の落着事故が発生し、私は事故処理の資料や陸幕への報告文書、再発防止策、操縦士教育資料などたくさんの資料を作り隊長をサポートしました。

その隊長は九州の飛行隊長時代に私の受け入れを拒んだ隊長でしたが、初めて一緒に仕事をする中で打ち解け合い、私の仕事に対する熱意ややり方にも理解して頂き仕事で各地に行く時も同行するようになりました。

退職後の今でも飲みに行く機会があるほどの信頼関係が築けたのも何かの縁だと思います。当時私を毛嫌いして師団司令部に出した隊長とも同じ航空隊で仕事をする機会がありました。

いくら嫌だと言っていてもいつまでもその人がいるわけではないのが自衛隊ですが、どこでまた再会するかわからないのも自衛隊です。

八尾で私は定年となり最後に送別会をしていただきましたが、私を毛嫌いした2人の隊長に加え私の面倒を見て頂いたH1佐も送別会に参加していただき、「N君はじゃじゃ馬だけど使い方次第でとてもよく動くすばらしい能力を持っている。」と2人の隊長の前で褒めて下さいました。

私は心から「又いつかお手伝いできる日があれば嬉しいです。」とお答えしました。新しい環境の中で新しい人間関係が生まれるのが自衛隊の良いところです。

いやだとか辞めたいとか思っていた状況とは同じではありません。辞めたいと思っても今すぐ結論を出さず、人が入れ替わって環境が変わるまで待ってみると意外に快適な環境に変わることもあると思えたら幹部職も続けられると思います。

辞めたいと考えている幹部自衛官に「こんな人もいるんだ」と興味を持っていただけるように書いてみました。

ライター:元航空学校教官

 - ヘリパイ






Comment

  1. ◯IR3Co より:

    ありがとうございます。

    昔から人間関係に悩んでいて、新しい勤務先でも色々と悩み事があって
    夜も寝付けなかったのですが、このメッセージを読んで前向きに考えてみようと思いました。
    筆者様が定年されたぐらいの時期に、自分も同じ方面に勤めていたので
    もしかしたら、直接お会いしたことがあるかもしれませんね^ ^

    • 元航空学校教官 より:

      コメントいただきありがとうございます。
      今回投稿する機会を通じ、悩みは打ち明けると楽になることが分かりました。

      何かご意見などありましたらまたコメントいただきたいと思います。

    • 元航空学校教官 より:

      コメントありがとうございます。

      人間、深く傷ついたり、嫌な事があっても浄化作用を持っていますので時間が解決してくれると楽に考えるようにしています。

      なにかありましたら、またコメント下さいね。

  2. かなあらや より:

    すごく救われます
    私も最近、全然だめで怒鳴られ続けて毎日嫌ですけど、よく考えて頑張ってみます

    • 元航空学校教官 より:

      失敗したり、うまくいかなかったりすることは、人間ですからあります。その時、どう捉えるかです。私は、その経験が人の痛みを分かる人間に近づけてくれるのだと捉えています。苦しい目にあった人でないと人に優しくなれないのです。何とかなると良い方向に考えて耐えてみてください。

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