元自にーさん(元自衛官)の自衛隊ブログ

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災害派遣(地震、火災、台風、火山):元幹部自衛官に解説してもらいました。

      2016/12/12

自衛隊が出動する災害派遣にはさまざまな種類があります。

地震、火災、台風、火山。。

今回は、元航空学校教官を務めた元幹部自衛官の方に自衛隊の災害派遣について解説してもらいました。



南海トラフ

和歌山沖約100kmの海底には南海トラフがあります。南海トラフに起因する大地震は100~150年位の周期で発生していますので南海、東南海、東海地震の可能性は否定できません。

最近では1854年に安政地震が起きていますので30年以内の発生確率は、南海地震が60%、東南海地震が70%という学説もあります。

地震に伴う津波が大阪湾に広がると、大阪、神戸、西宮付近までの大都市が水没する危険性もあります。1995年に発生した阪神淡路大震災は、死者6400名が犠牲となりましたが、津波が到来すると計り知れない大惨事となることが予想されます。

東日本大震災で被災した地域では防波堤や居住地区の移動など進められていますが南海トラフへの対応は進められているのでしょうか。

気象庁が発表する津波警報が発令されたら、海岸付近の住民の皆さんはとにかく高台に逃げることです。

東日本大震災でも高台に逃げた人とそうでない人が生死を分けました。関西国際空港や神戸空港はすぐに救助しないと大災害が発生します。

南海トラフが震源で津波が発生したら、関西国際空港には約90分、USJ付近に到達するのが120分後という予想がされているようですので時間との戦いです。

津波警報が発令されたらすぐに離陸し、津波に飲み込まれそうな地域の救助をヘリができないものかと思います。



山林火災

初夏になると山火事がよく発生します。空気が乾燥してくると落ち葉が風で擦れても火災の原因になると言われています。

人の出入りがない山奥で山火事が起きるのは空気の乾燥が主な原因です。人の出入りがあるところは火の不始末やタバコが原因の場合もあるようですが、バーベキューの火の不始末が原因で赤穂の会社員が森林失火容疑で逮捕される事件もありました。

関西の山林火災の災害派遣では、CH47には約10トンの水を投下できる水嚢がありますので、明野本校の支援飛行隊が中心となって消火活動をします。

支援飛行隊のCH47がない時は木更津のヘリ団からCH47が来てくれることもあります。UH1クラスのヘリでは火にあおられて近付くことさえできないこともあります。

UH1の水嚢は1トンですので一度に撒く量も少ないため、火点に直接かけても火に油を注ぐような状態になり返って火の勢いが強くなることもありますので、火点の周りに撒いて延焼を止める方法が有効です。



福岡県西方沖地震

2005年3月に福岡県玄界灘で震度6弱の地震が発生し、死者1名、負傷者1200名、家屋の倒壊が140棟に上る被害が発生しました。私もこの時福岡県に住んでいましたが、休みの日の朝の10時過ぎで公民館に集まり町内会の話し合いをしていた矢先のことでした。

公民館が崩れるかと思うほどの地震でしたので慌てて家に戻り自衛隊に出勤しましたが、道路は大渋滞、高速道路は通行止め、出勤にとても手間取ってしまいました。

家屋の倒壊は大半が玄海島で発生しました。福岡空港もガラスが割れ、壁が落下するなど被害を受けましたが、管制機関は常に冷静に周辺を縦横無尽に飛行するヘリの管制をしていました。

自衛隊ヘリは、災害派遣中は最低安全高度や着陸に関する適用除外となりますので天候が悪い中、福岡タワーの横を突っ切って玄海島に行くなどかなり無理な要求もあったと思いますが本当によく協力いただきました。

ヘリで物資や救助隊員の空輸をしましたがヘリでできることは限られました。

自衛隊は玄海島に設営して救援活動をしました。地震の後は大雨になり、崩れた家屋の屋根にブルーシートを張るなど住民の生活を守るのにも協力していました。

災害時に水や電気などライフラインが止まって大変なのは毎日の食事や安心して寝ること、家を守りたいという思いだと強く感じました。

竹田土砂災害

2005年9月に発生した台風14号は、日本各地に集中豪雨をもたらし、死者27名、行方不明者2名、負傷者165名、家屋の損壊は全半壊だけでも約5000棟の被害が発生しました。

大分県竹田市では900mmを超える大雨による土砂災害で2名が流されたとの情報により自衛隊は災害派遣の依頼があり行方不明者の捜索を行いました。

飛行隊は直ぐに現地に向かい、多用途ヘリに捜索隊員を乗せて大野川沿いに上流から別府湾河口まで捜索を行いました。

人が上空から見えるのかと思われる方もおられると思いますが、とにかく低く飛行したのです。高圧線をくぐることはしませんでしたが、高圧線より低く水面や地面が見える高度を飛行しました。

副操縦士は機長が高圧線をくぐるのではないかと思って心配したそうです。

河川沿いに飛行すると両脇の樹木がせり出していてヘリのローターとの間隔が2~3mのところもありました。ヘリパイは飛行に集中するため捜索することはできません。

後席の捜索隊員が命綱をつけ、ドアを全開にしてドアから身を乗り出して地上や水面を見たのです。何度も上流から河口まで捜索したのですが水の汚れや樹木や土砂が土石流で流されて至る所に集積しており発見は困難でした。それでも夕刻までは手掛かりを求めて終日飛行しました。

昼食や夕刻以降は竹田の公民館の広場に駐機しました。ヘリが着陸すると近くの子ども達や小さな子供を連れたお母さんたちがヘリを見物に来てくれました。

私たちはとても親しみをもって歓迎し、ヘリの操縦席にも自由に乗ってまるで遊園地の乗り物のように遊んでもらいました。

「乗っていいんですか?」との質問には、「皆さんの税金で買ったものです。自分のものだと思って自由に見て乗って楽しんでください」と言って遊んでもらいました。

お母さん方はとても喜んで「今日は私のうちで鍋をしますから是非来てください。」とまで言っていただきました。さすがにお邪魔することは遠慮しましたがとても嬉しい交流の場となりました。

私は2日間の捜索で交代となり違うクルーが現地で捜索を行いました。

私たちが再度のクルー交代で現地に行ったときに何か違う雰囲気がありましたので不思議に思っていたのですが、ヘリには誰も近づいてきませんでしたし冷たい視線を感じました。

私たちの後のクルーが公民館の広場にローブで柵を作り誰も近づけさせなかったのです。後にそのクルーに「そんなもの必要か?」と聞いたところ、「ヘリを壊されたら大変だから。」との答えでした。

それは指揮官も同じ考えでした。私が2日間で交代させられたのも、現地での飛行要領と住民にヘリを開放していることが耳に入ったからでした。

私の考えは自分では間違っているとは思っていませんが意見の対立が起きることは間違いありません。人はそれぞれ生き様や経験で考え方は違いますからどちらが正しいかはわかりません。

はっきり言えるのは事故を起こすことは許されないこと、任務は完遂しなければならないことです。

その二つの狭間で判断に悩むこともありましたが、困難な状況の中でいかに「安全」を確保して任務を完遂するか、それがヘリパイに課せられた役割だと思います。

台風13号

2006年9月に発生した台風13号による被害は佐賀県伊万里市では鉄砲水に巻き込まれ2名が死亡、見回り中の男性が増水した河川に流されて死亡するなど地滑りや土石流の被害が発生しました。

伊万里市で流されそうになっている人がいるので助けてくれとの連絡を受けて、飛行隊に救助ヘリを依頼したところ天候の回復待ちとの回答でしたので、私は車で高速道路を走り、福岡側から唐津経由で伊万里へは飛行できると連絡したところ飛行隊は偵察ヘリを飛行させました。

この間に人は流されてしまったとの連絡を受けてしまったのです。

司令部みんなで救助完了の朗報を期待していましたし、司令部指揮官からはなぜ助けられなかったのか説明を求められました。

私なら当初からホイストで救助できるヘリを離陸させ、天候判断しながら現地に向かい、多少の風や雨があってもヘリの運用に支障がないと判断したら救助します。

それで事故を起こすことが許されないことは承知の上です。自衛隊とは厳しい状況の中でいかに安全を確保して任務を完遂するかを求められる組織なのです。

私は救助ヘリで向かうよう依頼したのになぜ偵察ヘリだったのか飛行隊に強く抗議しました。

天候は確かに完全な回復をしていませんでしたので地上から確認して飛行可能と連絡をしたのですが、飛行隊指揮官としては正確な情報を収集したかったのでしょうか。

自衛隊は行動する時に安全を確保するのは良いのですが手遅れになったのでは本末転倒です。自分の身の安全より国民の命と考え、身を呈して国民の負託に応えて欲しいと思います。

御嶽山噴火

2014年9月に長野県の御嶽山が噴火し、死者57名、行方不明者6名の大災害となりました。

テレビで噴火の様子を写した映像を見られた方もおられると思いますが、モクモクと水蒸気のような煙に交じって飛び交う石や岩、亡くなられた方の大半が石や岩の直撃を受けたものでした。

避難小屋の屋根に降り注ぐ石や岩の音と非難された方々の悲鳴がとても生々しく残されていました。

外にいて生死を分けたものは、近くの岩に身を寄せ持っていたリュックを頭に乗せて少しでも直撃を受けないように身を守ることでした。この日の午後には災害派遣要請を受けて自衛隊ヘリが出動しました。

当日はまだ噴火の影響で救助活動はされませんでしたが、噴火がおさまった翌日朝6時にはUH60が救助を開始しました。

標高3000mの山岳救助はヘリコプターにとって限界に近い高度です。空気密度が薄くなるためホバリングが難しくなるのです。

これまでUH1が救助活動の主力でしたが、エンジンが1基しかないため、救助中に不具合が発生したりエンジン出力が低下したりすると大惨事となる可能性がありました。また、自動操縦装置がないため高い高度でホバリングするのはまさに神業だったのです。

ブラックホークと呼ばれるUH60は、1995年頃から導入が進み約35機が全国に配備されています。

エンジンは2基で自動操縦装置が装備され、UH1の後継機となるのかと思っていましたが、1機約37億円と高価なためUH1と合わせての運用となりました。

しかしUH1もそろそろ退役の時期となり後継のUH1を選定していると思います。

話が逸れましたが、火山灰が飛び交う御嶽山の頂上付近での救助活動は困難を極めました。火山灰は灰とは言いますが鉱物やガラスなどの先端が尖った硬い物質です。

眼に入ったり吸い込んだりすると人体にも悪影響です。救助活動をした自衛隊隊員や消防隊の皆さんは大変苦労したと思います。航空機のエンジンにも火山灰は大変危険です。

エンジン内の圧縮タービンなどのブレードに傷を付け最悪の場合エンジンが停止する可能性があります。

1982年、ブリティッシュ・エアウェイズのボーイング747が飛行中、ジャワ島の火山が噴火していましたが夜間で見えなかったため火山灰の中を通過し、4基のエンジンが止まってしまったことがありました。

また、1989年にはKLMオランダ航空のボーイング747がアムステルダム・スキポール空港から成田空港に向かう途中、前日噴火したリダウト山からの火山灰の厚い雲の中を飛んだため全てのエンジンが止まりました。

どちらの航空機もエンジン再起動に成功し難を逃れましたが火山灰はとても怖いのです。

UH60にはフィルターが装備されていましたが、CH47はイラク派兵などに対応するための防塵フィルターを装備した機体が使用されました。

砂漠地帯で巻き上がる砂ぼこりに対応したフィルターが火山灰を防ぐのに役に立ったのです。

熊本地震

2016年4月に発生した熊本地震は、マグニチュード7.3、益城町付近で震度7を2回記録し阿蘇から大分にかけて一連の地溝帯に沿った大地震となりました。

こんな大地震が九州で起こるとは本当に驚きました。携帯電話の警報音が何度も鳴り響きそのあと家がミシミシと音を立てグラグラ揺れるとても怖い夜でした。

こんな時、自衛隊は呼集があろうとなかろうとまず出勤します。航空機は直ぐに格納庫から搬出し離陸の準備をします。

方面航空隊のヘリは映像転送の準備をします。市街地や被害が確認できる映像を総監部に送るためです。

自衛隊は行方不明者の捜索救助、がれきの撤去、給水給食お風呂支援など様々な活動をしますが、今回の地震は被害が広範にわたり避難者も6万人と大変な数でしたので避難所への物資輸送など手が回らなかったようです。

輸送ヘリのCH47が特別点検中で稼働機が少なかったこともニュースになりました。安全を優先することは重要ですが、危機意識の欠如とまでは言いませんが全機同時に整備に入れたら不測事態に対処できなくなることは分っていたはずです。

自衛隊の真価が問われるような大災害が発生しているのに点検中などの言い訳は効きません。

朝までに仕上げろとまでは言いませんが木更津や明野のCH47なければ目達原のUH60を総動員して必要な支援を完遂して欲しかったと思います。

CH47の飛行ができなかったから米軍のオスプレイが投入されたと聞きましたが、米軍がバックアップしてくれたことに感謝しなければなりません。

ライター:元航空学校教官

 - ヘリパイ, 災害派遣






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