元自にーさん(元自衛官)の自衛隊ブログ

新隊員、自衛隊や自衛官に興味がある人に自衛隊について色々と学んでもらえるようなブログを目指しています。

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御巣鷹山に災害派遣出動した陸曹長の話

      2016/12/12

御巣鷹山 日航機 ボーイング1985年8月12日に発生した日航航空123便墜落事故は元自にーさんが生まれる前に起きた事故です。

当時の映像などyoutubeで私も観たことはありましたが、それほど良く知りませんでした。

今年で30年経過したみたいですね。

今回は当時災害派遣に従事した方のお話です。

youtubeは削除されました。

 

8月の熱い時期になると思い出してしまう、ある話があります。

それを今日お話ししましょう。

そしてこのお話しで、その事件に携わり、災害派遣された、恩人である曹長の若かりし頃の心中と、日本航空123便墜落事故の災害派遣に携わった自衛官達の思い出を語りたいと思います。

場所は御巣鷹の尾根と呼ばれる場所。

今はそう呼ばれているところは、1985年まではただの山の一部で、そのような名前すらありませんでした。

そこに航空機が墜落したのです。



日本航空123便墜落事故発生

乗客524名が乗った航空機が墜落し、死者520名を出した大惨事。のちに日本航空123便墜落事故と呼ばれた、日本国空史上最悪の大事件に、自衛隊は災害派遣で対応しました。

その当時の事を私はとある曹長から聴き、その事件の際の自衛隊の動きを鮮明に教えてもらいました。

それをありのままに語りたいと思います。

まず事故の発生した翌日、曹長の部隊(この時曹長は陸士長でしたが、解りやすくするため、ここでは曹長として説明させていただきます)はすぐに災害派遣として御巣鷹山へ向かい、この事故の中心となる上野村小学校に遺体収容施設と設備の設置、または捜索時の中継基地として使う為の設営を行っていました。

マスコミが到着し、ごった返していた小学校の校庭はただ騒然としており、夏休みに静かだっただろう小学校とは思えない程に、人で溢れていたらしいです。

そんな中で曹長達はひたすらにテントの設営や、物資の搬送を行い、朝から夕方まで掛かったその作業の終了後、曹長はそのまま休む間も無くに、御巣鷹山の墜落現場のヘリポート設営任務にあたりました。

この災害の墜落現場である現場は山奥で、鬱蒼とした原生林が密集した、人の足のまるで届かない、樹海のような場所だったと、曹長はそこまでの道筋の大変さを教えてくれました。

最初は警察の機動隊が墜落現場までの道を作ろうとしていましたが、慣れない作業と高温多湿な山の天候に、しかも8月の好天の陽射しのせいで気温は上がりに上がり、道の整地作業に難を示した警察は、止む終えず自衛隊に御鉢を任せたと聴きます。

消防やレスキュー隊も難儀した、現場までの道を曹長達は背嚢を背負いながら、徒歩でひたすらに行軍を行いました。
ただ通常の行軍とは違い、人の手がまるで付けられたことの無い山道の草根を切り分け除去し、人がようやくにして通れる道を整地舗装しながら行かなくてはいけなかった為、その到着は遅れたとのことです。

でもすでに現場に向かっている自衛隊員達もおり、曹長の部隊は後に続く後発の部隊の為に、ひたすらに道を作っていたのです。

第一陣の部隊は何度も道に迷いながら山中を駆けずり回り、それこそ小休止すらも取らずに現場に向かっていたのが現状でした。
情報が錯綜し、ヘリの誘導無線で指示を受けながらに進む行軍は、今までに経験した事のなかった行軍だったと、曹長は語ってくれました。

歩きにくい山で、しかも草木を切り分け、後発部隊の為の道を作りながら進む行軍は、どれだけ大変だったのかと、当時の私はただそんな現場を憂鬱に想像していました。

そして苦難の果てにようやくに現場に到着した頃には陽が明け、朝になっていました。

現場には既に先発の自衛隊員が残骸を除去しながら、遺体の回収と同時進行でヘリポートの設営を行っていました。
曹長達も休む間も無くに、設営に携わります。

徒歩で運んできたチェーンソーや手斧にエンピや十字(エンピはシャベルの事で、十字はツルハシです)などをそれぞれが使いながら、現場の山頂部にヘリポートを作らなければいけない任務は、ただ過酷だったと曹長は語ります。

その作業はまず航空機の砕けた大きな残骸を手作業で除去し、数人がかりで部品や残骸を運んでいたらしく、燃えた航空燃料で気温はさらに上がり、雲の無い夏の炎天下の元でその作業を行っていた曹長達。

臭いもすごく、その臭いは例えることのできない程の臭いだったと言います。無論、途中で気分を悪くし、吐いてしまう隊員もいました。

脱水で倒れてしまう隊員もいます。水を何度も飲み、水筒の水もすぐになくなる程に、そこは熱かったのです。そんな場所で曹長達は、ただひたすらに作業に打ち込みました。

航空機の墜落と爆発炎上で倒れた木々などをエンピや十字を使い手で掘り起しては、それらを運び、墜落現場の山を綺麗に整地しなければいけない作業をただひたすらにしていました。

そんなひたすらに頑張っても丸一日を使っても、作業は終わることは無く、前半組と後半組に分け交互に交代しながらに作業は夜通し続いていました。

その際も空にはマスコミのヘリが交通渋滞のように飛び交いながら、空を覆っていたらしく、あまりの煩さに気が滅入りそうだったらしいです。

そんな作業の途中、死体を見つけることもあったと曹長は言いました。

その時は作業を止め、遺体を回収し、袋へと修め、ヘリポートが完成した際にはすぐに搬送できるようにと、一か所に集められていたと聴きます。

無論、作業は夜間も行われています。

ヘリの照明で照らされてもなお暗い山の中、山登り用のヘッドライトなどを点けては、僅かな明かりを頼りに曹長達は作業を進めていました。

途中で脱水や疲労で倒れる自衛官の数も増えていき、作業は思うように進まないでいましたが、ただひたすらに曹長は設営作業を行い続けていました。

チェーンソーで木々を伐採し、人力でそれら丸太を運び、均した地面に打ちつけ、ヘリポートの土台を作る作業。

それが曹長の班の第一任務でした。

切り運んだ丸太を寝かせ、崩れないように樹を打ちつけ、囲いを四方に作りながらに進む作業は夜通し行われ、ようやくに完成した頃はまた朝になっていたと聴きます。

そしてようやくに到着したヘリに、隊員は一列になって、発見した遺体を運んだそうです。

その数はたくさんあり、途中で数えるのが辛く、ただ何も考えずに運んでいたと曹長は言いました。

考えることなく、ただ運べと命令されていた曹長達。

もし考えてしまったら作業が止まってしまうと、そんな事を考えながらに、曹長達は発見し回収した遺体をヘリへと搬送していました。

そんな遺体の搬送の途中で、曹長の班は次の任務を言い渡されます。

まだ発見されていない遺体の捜索に、曹長は駆り出されて、山頂から下の現場へと向かったそうです。

ここでヘリポートが完成したのなら、重機やブルドーザーが運ばれてくるのかと思う方がいるかもしれませんが、実際の現場には持ち込む事はできずに、あくまでも手作業での現場対応だったみたいです。

この事故の中で一番に辛かったのは、後の遺体の捜索だったと曹長はその時の事を語ってくれました。

遺体の捜索は、まさに惨事だったらしく、細かく砕け散った遺体を集める時、何度も吐いてしまったと曹長は語り、防護マスクやそんなものは無く、タオルを巻いて匂いを遮断しながら、ただ遺体を回収していた曹長達。

途中強面の上官が涙を流しているのを見て、複雑な心境を抱いたと話してくれました。

夏の炎天下に腐敗していく遺体の数はただ多く、幾ら回収しても、次から次へと見つかるそれらは、本当に全てを見つける事が出来るのかと不安に駆られてしまい、見つからなければ帰れないのかと、憂鬱な事を考えてしまう一方、遺族の気持ちを考えると、どうしようもない葛藤の中で曹長達は作業を進め、ようやくにして帰還したのが、三日目の朝だったらしいです。

ヘリで小学校まで移動し、また騒然としていた現場を見ながら、その災害地を後にした曹長達。

この派遣は一生忘れることのできない事だと語ってくれました。

この事件も30年が過ぎ、曹長も既に自衛隊を退官したとの事を聞き、この災害派遣に携わった曹長の事を是非に残したく、書かせていただきました。

望むことは二度とあんな事故が起きない事を祈り、事故に合われた方々に哀悼の意を込めて終わらせていただきます。


 - 体験談, 災害派遣




kotirade

Comment

  1. まさし より:

    生きているか亡くなっているかわからず
    ただひたすら現場に向かった第一陣の方は大変困難だったと思いました。

    第二陣もほぼ休憩なしで3日フル稼働

    機械が入れない現場だと人力が頼りですね

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